地震から今まで

20110311
地震が来た。死ぬかと思う揺れだった。数日前に高熱を出しており、まだ頭痛で寝こんでいた私は、ベットの中で怯えていたが、なんとか揺れが収まり助かった。車が通っただけでも揺れる家だ。家の中はぐちゃぐちゃだった。あらゆる家具が移動していた。震度6強
幸運にも恋人と電話がつながる。家にも何も、異常は無いという。ほっとする。バイト先のコンビニに行くと、棚のものは全て落ち、酒瓶が割れて危険な状況だった。真っ暗な中掃除をする。人々が「開けてくれ」と列をなす。「開けないと暴動が起きるぞ」と脅す人もいた。皆、それくらい焦っていた。話し合い、ようやく店を開ける。店の外にパンと飲料を並べ、個数を制限してドアの前で1人ずつ販売という方式。パニックは起きず閉店。
夜帰ると、家の中は片付いていた。津波の被害により、同じ区の海岸で多数の遺体が見つかったと聞く。津波と火事と余震の恐怖に震え、真っ暗な中こたつで就寝。


20110302
遠くの火災で外が焦げ臭い。恋人が自転車でやってくる。津波のニュースを見て心配して、遠いところからわざわざ来てくれたのだ。嬉しさなどの感動で、言葉に詰まる。
幸い、食料のストックがあったのと、水が出るのと、父親がアウトドア技術に長けていたのと、アウトドア用品が豊富だったのとで、家族と恋人分のごはんを作ることができた。皆でそれを食べ、懐中電灯の明かりのもとトランプをし、20時頃に早々就寝。余震、津波、火災。まだどうなるか分からない不安はあるが、とりあえず周りの人が無事で、家もあって、食べ物もある。本当に良かった。


20110313
前日と同じような一日。メールなどが徐々に復活、送受信しやすくなる。たまにワンセグで見るニュースでは、悲惨なことが報道される。ろうそくの明かりで過ごす。余震はたくさん来るので、だんだん感覚がマヒしてくる。「ああ、震度4か。なんだ」と言うふうに。


20110314
朝、恋人帰宅。水で頭を洗い、バケツで洗濯をする。午後は区役所へ行き、携帯電話の充電。人が大量にいる。2〜3時間そこで過ごし、帰宅。弟が中学校の炊き出しの余りをもらってくる。豆腐が多めにあるらしい。夜はろうそくの明かりで花札をし、就寝。被災地の物資確保と、安全のため、周りが帰省して行く。恋人も帰省。なんだか心細くなり、めそめそと泣く。


20110315
心細さ、徐々に消える。電気が回復。
そして今に至る。まだ、どんな災害が降りかかってくるか分からないが、今は元気だ。親戚や友人とも連絡が取れた。様々な人の応援がありがたい。復興まで、どうにか周囲と協力して生きていこう。