20110409

あまり、なにも、やる気が起きない。
自粛がどうだという話題が取り沙汰されているが、この、何もできないで立ちすくんでいる感じは自粛なんていうものでも、何でもなく、ただ何もできないのである。悩み少なき我が人生にも、悩みや不安やいらだちは常に付きまとい、ひじょうにつかれるのです。

20110407

昨日、温泉に行った。震災以降、家はずっとガスが止まっているので、実にひと月ぶりくらいで風呂に入った。限界はとうに超えていた。言葉にできないほど、垢が出てきた。
昔話に、「ちから太郎」というものがある。子供のいないおじいさんとおばあさんが、自らの垢を粘土のようにこねて子供の人形を作る。するとそれが、本物の子供になるのである。
その話に対して、こどもながらに「うっそだぁ。そんなに垢が出るわけないじゃん」と思っていたが、出るのだ。昔話も馬鹿にできない。
垢をこすればいいというものでもない。風呂に入れずにいたらアトピーが治ったのだが、昨日きれいに洗ったら、花粉症と相まってかゆみが再発した。目の周りが腫れている。
垢は、汚いだけではない。身を守ってくれるものでもあるのだ。

2010311 大人のまじめなカバーシリーズ

大人のまじめなカバーシリーズ (初回生産限定盤) (DVD付)

大人のまじめなカバーシリーズ (初回生産限定盤) (DVD付)

安藤裕子のカバーアルバム。アマゾンで注文して、届いた。仙台にも届く。
CDを買ったのなんて久しぶりだ。最近はレンタルやyoutubeばかりだった。しかし、このCDが発売されると知ったとき、「買いたい買いたい!欲しい!」となったのだ。「買いたい」「欲しい」などと思うのは貧乏症には珍しい現象なので、そのときの気持ちを尊重してみたということである。カバーを聴いたら原曲も聴きたくなった。特に1曲目のジ・アザー・サイド・オブ・ライフ。

20110326

ひょんなことからとあるボランティア作業に関わることになった。まるで人の役に立たない自分がボランティアなどとはちゃんちゃらおかしいが、仕方ない。今までぼんやりしていたのが、急に忙しくなってしまった。パソコンを扱う作業なので、一日中パソコンを真剣に見つめることになり、肩こりが激しい。目の奥が重たい。これがデスクワークの疲労感というやつか。
その作業関連で、津波被害の大きかった地域に行った。正直、「テレビと同じ」という印象だった。おそらく、初めて見るよりだいぶショックが少ない。慣れていたのだ。津波の恐ろしさとともに、テレビの恐ろしさを感じた。しかし、眠る前に目を閉じると、津波被害の光景が浮かんで怖くなり、眠れないのであった。実はショックを受けたのかもしれない。

バイト先のコンビニも、寿司屋も、ぼちぼち再開する模様である。卒論と、教育実習もある。どんどん忙しくなりそうだ。


弟が高校受検に合格した。おめでたい。

刺青・秘密

以前(いつだったかな)ブログで「購入した」と紹介したもの。途中まで読んで、あとは日常に翻弄されて放ったらかしになっていた。
これは短編集だが、サクサクと読み進められる代物ではなかった。この文庫に収録されている話は全て作者初期の短編。これまでに読んだ『細雪』や『鍵・瘋癲老人日記』とはまた違っていた(それらがサクサクといったかと言うと、全然そんなことはなかったが)。変なたとえをすると、喉がじっとりと苦しくなるバタークリームを、大きなスプーンですくって食べているような感じである。『刺青』にしても、『少年』も、『秘密』にしても、陰湿で淫質な空気に呑みこまれそうになった。
この前、停電中に区役所で携帯電話の充電をしている数時間で、残りを読み終えた。私は『異端者の悲しみ』が、いちばん寄り添うように読めて好きであった。「作者唯一の告白書にして懺悔録である自伝小説(裏表紙より)」とのことなので、自伝的な部分から、また学生という境遇から、そのように感じたのかもしれない。

刺青・秘密 (新潮文庫)

刺青・秘密 (新潮文庫)

20110317

電気・水道は来たがガスが来るまでにはあと1カ月以上かかりそうな気配がする。かといって家電をフル稼働させては、またいつ停電になるやら分からない。うちは幸運にも灯油などがあったので、今はそれとアウトドア用品で煮炊きを行っているが、灯油もいつ尽きるか。その時になったら電化製品を使うのであろうが、今は節電のため、夜暗くなったら8時9時には寝るようにしている。パソコン・テレビ・冷蔵庫・洗濯機は使っている。ホットプレートやドライヤー、コタツなどは使わない。電子レンジも、一日5分も使わないようにしている。他の家庭はどのように節電しているのだろう。
その日の生活がひと段落して勉強関係のやる気が起きるのが夕方であるため、夜中まで明かりを点けてはいけない気がして寝る。これはちょっとしたジレンマだ。昼に勉強すれば良い話だが。切り替えが課題である。
ガソリンが無いため、周囲も徐々にピリピリしてきている。「給油は避難所やもっと被害の大きかった地域、原発により近い地域が優先」と理解していながらも、もしものときに自分たちが逃げる場合のことも、やっぱり考える。仙台もけっこう原発に近いから、周囲の気持ちもわかるし、私自身も内心「100km圏くらいならよほどのことが無い限り大丈夫、と言いつつ危ないのではないか」と感じる。
原発の問題が解決するか、ガソリンが手に入るまで、ピリピリは続くものと思われる。我々の地域は今のところ助かっているほうなのだから、あまり怒らず、騒がず、冷静に過ごしたいものである。